奇妙な形の野菜たち

Literature, photograph, music, guitar, and alcohol (sake, whiskey). What I love and never stop

僕たちが凄い勢いで失っているもの

僕が社会人になった1983年、就職した会社では始めてファックス機が来た。あの頃、まだファックスのある会社は少なかった。メーカーの営業マンが設置を終え、会社に準備が整ったことを電話で(もちろん固定電話)伝えると、しばらくしてからファックスは複雑な図面を描いた紙を吐き出し、集まった社員達を響めかせた。会社にはまだ、タイプライターがあり、タイピストがいた。そして海外との交信手段はテレックスであり、テレックスのオペレーターもいた。

あれから40年、ワードプロセッサー、デスクトップ・コンピューター、ラップトップ・コンピューター、携帯電話、スマートフォン。この順番でよかったかな、僕たちを取り巻く環境は劇的に変化した。電車の乗客は一人残らずスマートフォンの画面に両眼を奪われ、レストランで料理を待つカップルは無言でそれぞれのスマートフォンの画面に指を滑らる。寿司屋のカウンターで握りをつまむ人も、握りと握りの間は大将との掛け合いではなく、もちろんスマートフォンだ。今や「アフリカのどっか」の国でも、都市部ではスマートフォンをもっていない人を探すのは難しい。

写真は、エジプトのシナイ半島で地下水の調査をしていた1990年の初め頃だと思う。どこまで走っても走っても、一面の砂漠である。旧約聖書出エジプト記では、ヘブライ人は海(スエズ湾)を割ってシナイ半島へ渡り、モーゼが十戒を授かったとされる、キリスト教徒にとっては大変な聖地である。

当時のGPSは、ビジネスクラス対応の大きなスーツケースぐらいの大きさはあった。あの頃の僕は、まさかGPSが携帯電話や、腕時計の中に入るなんて夢にも思わなかった。そもそも携帯電話はなかったし。僕たちはベースにしていたシナイ半島の北側の地中海沿いの町 El Arish から砂漠に入るきは、1台は食料と水(長くなるときは生きている羊も連れていった(もちろん食料として))、1台はGPSと調査機材、1台はローカルスタッフ、そして1台は僕たちと、4台のラウンドクルーザーで編隊を組んで走った。当時は人工衛星の数も少なく、受信機の精度ももちろん悪く、GPSから位置情報が得られない時間もしばしばあり、「やっぱり地図だよな」と言いながら1/50,000スケールの地形図を広げ、周りの地形を確認し、現在位置を推測しては移動する。

砂漠と空が接する遠くの綺麗な直線は、陽炎で常にゆらゆらと揺れている。その揺れの中に小さな一点があることに僕は気づいた。その点は徐々に大きくなり、白い塊となって揺れている。それはベトウィンだった。ベトウィンとは、アラビア半島を中心にラクダや羊の放牧や売買をおこなう遊牧民である。足元を見るとサンダル履き、手ぶらで、食料どころか水ももっていない。地図を広げ、必死に自分たちのゆくべき所を探す僕たちの所にくると、これが人間の手かを思うほどのゴツゴツの手で握手をしてくる。そしてガラベイヤ(アラブ人の伝統的な服)のポケットからタバコの葉と紙を取り出し、器用にくるくると巻くと、仕上げに真っ黒な歯の間から出した舌で唾液をたっぷりと紙の片辺を糊付けして、出来上がった紙巻きタバコを差し出す。躊躇している僕に、「喜んで受け取った方が良い」とエジプト人スタッフから声がかかる。僕は覚え立てのアラビア語で礼を述べ、汚らしいタバコを受け取ると、お返しにポケットからマルボロの箱を取り出し一本勧めた。ベトウィンは非常に満足そうにマルボロの青白い煙を燻らせながら、僕たちのエジプト人スタッフと大きな声で話し始める。そしてマルボロがフィルターの所まで燃え尽きると、僕たちに片手をあげ、ゆらゆらと揺れながら砂漠と空の地平線に点となり、そして消える。

GPSどころか地図もいらないのだ。もちろんランドクルーザーも必要ない。彼らは360°どこを見渡しても砂漠の大地で、自分の位置も目的地の方向も解っているのである。そのような動物的な研ぎ澄まされた感覚は、ファックスからスマートフォンの40年間で、僕たちは凄い勢いで失っているのだ。そして失ってしまったもの思い起こす思い起こす能力さえも、スマートフォンは奪ってしまったのだ。

もう一枚の写真は、移動中のキャンプ地でお茶をご馳走になったベトウィンである。僕に汚いタバコをくれたベトウィンではない。

砂漠の真ん中で地形図を広げ現在位置を確認する調査団

移動中の岩陰で休息するベトウィンの家族