奇妙な形の野菜たち

Literature, photograph, music, guitar, and alcohol (sake, whiskey). What I love and never stop

創造と調和

アメリカのケンタッキー州には、創造博物館があるということを、30年ほど前にそれを取材した雑誌の記事を読んで知った。進化論を否定し、神が万物を創造したことを証明する博物館だという。今のアメリカにそんなものがあるのかと、Geologist の端くれとして当時の僕は非常に驚愕した。

一日目に神は天と地をつくられ、暗闇の中で光をつくられ、そして昼と夜ができた。二日目に神は空をつくられ、三日目には大地をつくられ、海が生まれ、大地には植物を生えさせられた。四日目、神は太陽と月と星をつくられ、五日目には魚と鳥を創られた。六日目には神は獣と家畜を創り、神に似せた人をつくられた。こうして天と地とその万象が完成したことを祝福され、七日目に神はお休みになった。

そして神は六日目に人をつくられた際、こう言われた。「われわれのかたちに、われわれにかたどって人をつくり、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」

ケンタッキー州の創造博物館の入り口に書いてあるこの文章を読んで、僕は膝を叩いて「なるほど!」と言うことは出来ない。しかしこの文章をバカにすることも出来ない。

僕は1980年代から1990年代まで、約8年間、エジプトのシナイ半島で仕事をしていた。その時に、オールド・カイロ、すなわち、コプト教という一神教キリスト教とかイスラム教)のルーツにあたる宗教の発祥の地に行ったことがある。

「湯水の様に・・・」、日本ではそういう言葉がある。まさに、水に困っていない日本ならでの表現だと思う。僕のクライアントさんである国の人に対して、日本では「どこでも沢山あって、どれだけ消費しても、全く気にする必要のないもの」の一つが「水」であるとは、なかなか説明しずらい。水は一神教の発祥の地、エジプトでは命であり、古代エジプト文明を創造した(ナイル川によって)神なのである。

一神教とは、そういう命を維持する水も確保出来ない過酷な自然条件の中で、苦しみから解放されることを願う、あるいは自分たちの力では変えられない自然条件を神格化する、そういう自分たちの生(life)を正当化するために生まれた考えなのだと思う。

今、世界を分断しているキリスト教(西欧諸国)とイスラム教(アラブ・中近東)の対立、僕の知る限りその始まりは11世紀末から100年は続いたとされる「十字軍」活動の由来とされているが、それを21世紀の今でも続ける理由はどこにあるのだろうか。

今、僕が仕事をしているザンジバル、それはタンザニア連邦共和国の一つの国であり、インド洋に浮かぶ小さな島である。おそらく殆どの日本人は知らない国だと思う。この国は、豊富なスパイスの宝庫であり、16世紀頃から当時は先進国であったアラブ諸国(特に今のオマーン)の人々が胡椒とクローブを求め、命がけで海を渡ってきた島である。そしてその後、オマーン人によってこの島は奴隷貿易の拠点となり、アフリカ大陸から連れてこられた人々はここで売りさばかれた。当時の奴隷市場は今でも残っている。

ザンジバルに始めて来たのは、もう、20年ぐらい前だったであろうか。奴隷貿易、アフリカなのにアラブ文化の入った国、そういう固定観念から、その頃既に沢山のアフリカ諸国を経験していた僕も、それなりに緊張した。しかしどうであろうか、ザンジバルは見事にイスラム教とキリスト教が調和していた。写真の手前、時計塔がある黒っぽい建物はキリスト教の教会、その背後にある白く細い塔のイスラム教のモスクである。

それらは隣同士であるが、祈りの違えば、服装も、ご飯を食べる時間も違う。でも、何も対立していない。それが当然の如く、お互いを隣人として受け入れている。僕のプロジェクト・オフィスでも、ザンジバル人のスタッフは数人いて、イスラム教徒教も、キリスト徒教もいて、毎日仲良く仕事をしている。

もう、何十年も前になろうか。スティービー・ワンダーと、ポール・マッカトニーのコラボレーションで、エボニー(黒檀=黒)とアイボリー(象牙=白を)、ピアノの黒鍵と白鍵にな添え、白と黒の調和によってメロディーを奏でることができるんだと歌った(曲の邦題:エボニーとアイボリー)。それは、白人と黒人の調和を訴える作品である。カメラのファインダーに映し出された教会とモスクを見ながら僕の頭のなかでは、直ぐに「エボニーとアイボリー」のメロディー流れた。

そして今、改めて強く思う。なぜ、調和できないのだろうか。何故、お互い尊重できないのであろうか、誰も知らない小さなザンジバルという国では、それが昔から出来ていたのに。

プーチンさん、バイデンさん、習近平さん、ついでにスーチーさん、僕がザンジバルにお連れしましょうか。一体、何を憎んでいるのか、それを憎む必要が本当にあるのか、もう一度一緒に考えてみませんか。

ザンジバル、ストーンタウン。共存する教会とモスク