「ええっ!そんな川があるんですか?」
OJT(On the Job Training)で僕のタンザニアの統合水資源管理プロジェクトへ派遣されたクライアントの新入社員(会社ではないので社員とは言わないとは思うが)は、僕の間欠河川の説明にひどく驚いた。
「水が無いなら、川じゃ無いじゃないですか!」
と彼は続けるが、世界には一年中水の流れがある川(恒常河川)の方が珍しく、降雨時や雨期にのみ流水がみられる間欠河川の方が圧倒的に多いのである。研修生君は大学時代にラフティング部(6~8人でゴムボートに乗りパドルを使って川を下るスポーツ)に所属し、日本中の川を下った経験を毎晩嬉しそうに僕に話してくれた。特に四万十川の美しさを語り始めると、聞いている僕もその美しい水面と緑と地形の変化が目に浮かぶほど立体的に説明してくれた。心から川を愛する青年だった。
水は蒸発して上空で雲となり、気圧が低下すると雨になり地上に降る。地上に降った雨水は、流出(河川水)、浸透(地下水)、蒸発に分かれ、河川水や地下水は高いところから低いところ、あるいは圧力の少ない方向に流れ、最終的には地形の一番低い海(あるいは湖)に流れる。地形の一番低いところに集まった水はまた蒸発により上空で雲となり、雨をなり地上に降り、流出、浸透、蒸発を繰り返す。これを水循環システムといい、このシステムの中で水は流入と流出をバランスしている。
間欠河川も上流をたどって行くと、ある地点までは流量が見られる河川も多い。僕は実はこれが好きで、水の無い川を見つけると僕は上流へ上流へとたどって行く。これ以上車で進入できない地点まで来ると、車とドライバーを残して僕はさらに上流を目指す。
世界三大瀑布(滝)の1つ、アフリカのジンバブエとザンビアにまたがるビクトリアの滝の位置するザンビア最南端の都市にその名を残したスコットランドの探検家(医師でもある)Dr.リビグストン(David Livingstone,1813 - 1873)は、ナイル川の源流(上流)をめざし、ヨーロッパ人で初めて当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断し、ビクトリアの滝を発見した。僕は心配するドライバーを残し、Dr.リビグストンさながら生気に満ちて川を上るのである。複雑な砂紋を残した河床、優雅な曲線を描く岩、巨大な彫刻刀で彫刻家に抉られたような河岸。自然の水の流れによって造形されたこの美しい水の無い川を上りながら、僕は夢中で上流を目指す。Dr.リビグストンに比べると、小さな小さな冒険だが、神秘な美しさに溢れた冒険だった。クライアントの研修生君ももちろん連れて行ってあげた。研修最後の日、彼は川がもっと好きになったと僕に語ってくれた。
僕の仕事は、「すみません、ここから先の川には水はありませんので、○△市の住民の皆さんは来年6月の雨期まで我慢してください」とは言うことができない。一年を通じて、そこに住まう全ての人に安全な水のある生活が出来るようにしなければならない。
しかし、水循環システムは地球上の自然な環境システムであり、そのバランスを崩して開発をしてはいけない。かつての水資源開発は、表流水(河川)は表流水のことだけ、地下水は地下水のことだけ考えて開発をしていた。しかし、水が地表で流れているのか、地下に浸透しているのかは、自然条件でたまたま水を貯留する仕組みが変わっただけのことであり、水自体は垣根も無く循環し形態を変えながらも流入と流出をバランスしている。僕の仕事は、そのバランスのなかで最高のソリューションを出さなければならない。だから僕は歩いてきた。川を、山を、町を、村を、湿地帯を、サバンナを、ブッシュを、砂漠を、を歩いてきた。歩いて、人々の美しい生活とそこから生まれるアートを楽しみ、それを持続させるために僕が唯一できる貢献をしてきた。そう思うと、ホントはちょっと違っていた、と若い頃(ネパール時代)に思った胸を掻きむしりたくなるような葛藤は今でも覚えているけれど、まぁ、もう良いか、という気持ちになれる。