奇妙な形の野菜たち

Literature, photograph, music, guitar, and alcohol (sake, whiskey). What I love and never stop

井戸の中で

僕は地下水の専門家なので、表流水(河川水)に乏しいアフリカやアジアの国々が僕のクライアントさんだ。河川に恵まれていたとしても、表流水は浄水施設に大きなコストがかかる。だから水質が良好で水処理が必要ない地下水は、開発途上国にとっては非常に重要な水資源である。

僕の仕事は、1つのプロジェクトが大体3年から5年かかる。まずその国の保有するあらゆるデータを分析し、その上で足りない基礎情報を集めるために様々な地質調査をする。ここまでが、まあ最初の1年。2年目からはもう少し具体的な調査・探査をする。病院で言えば、レントゲンや超音波検査。そういうことを僕たちは地球に対して行う。3年目からはそれらの結果を総合的に判断し、何処地域にどれぐらいの地下水が賦存しているか検討をつける。その上で、想定した地域に実際に井戸を掘り、地下水を揚水しながらいろいろな試験を実施し、さらに具体的な地下水ポテンシャルを評価し、その国の地下水開発計画を策定する。だから僕にとって、井戸を掘ると言うことは(僕が実際に掘るわけでは無いが)、病院で言えば、患者に手術をするような特別な感覚を持っている。実際に患者の身体を切り、患部を直接治療する。井戸は僕にとってそういう感覚なのだ。

一方、僕は井戸に対してもう一つ違う感覚を持っている。それは地球が丸いがために抱く感覚だと思う。地表に対して垂直に井戸を掘ると言うことは、地球の内核の方向に坑を開けているとだ。

今、世界で一番深い井戸は、西ロシアのコラ半島にある深度12,262mの超深度掘削坑だ。石油の井戸がおおよそ3,000~5,000m、水道水源の地下水を取水する井戸ならせいぜい数メートルから百数十メートルであるので、コラ半島の井戸は相当深いことがわかると思う。僕は、井戸の建設現場に行くと、もっと掘って欲しい。コラ半島の井戸よりももっと深く、内殻も貫通して地球の裏側まで通じる井戸を掘って欲しい。そういう感情に囚われてしまう。そして地球の裏側まで通じる井戸が完成したら、僕はそこに飛び込みたい。

きっと凄いスピードで落ちていくに違いないが、地球の中心である内核を通過すると裏側の半球の地表に向かって上昇に転じるはずだ。そうすると今度は来た方の半球の重力に引っ張られまた落ちていく。そして中心まで落ちると瞬時に上昇に転じ、今度はまた反対側の半球の重量に引っ張られる。そうやって井戸の中を何度も行き来しながら、最終的には井戸の中心で浮かぶはずだ。そこは大気圏も含む地球の中の全ての重力の中心点だから。

落ちるとか、上昇するとかは、今自分が立っている地点から見ての関係であるが、そもそも、この力関係には上下も左右もない。上も下も右も左もない地球の中心点、それはインドで発見されたというゼロ――無であり無限であるゼロ――の世界でもあり、そんな空間が固体地球の内部にほんの一点だけ存在していることを思うと、そここそが自分の本当の居場所ではないかとさえ思う。そこで一人で浮かんでみたい。

そんなことを、僕は一人で空想している。写真は、エジプトのシナイ半島で僕たちが掘った試験井戸。深度は2,000m。僕が携わった井戸としては、最も深いし、世界的にも水井戸としては最も深い井戸だと思う。僕はエジプトのシナイ半島の井戸だけで、4本の論文を書いたし、僕が書いた論文で、世界中で引用件数が一番多かったのもシナイ半島の井戸だった。井戸掘削業者は、石油井戸の掘削機を持っているエジプトの業者と契約した。1本の井戸を掘るのに、5~6ヶ月かかる。その間、僕のバカみたいな空想はずっと続いていた。

エジプト、シナイ半島での2,000m級の井戸掘削現場。エジプト人ドリラー(井戸掘削技術者)の」何人かが、お祈りの時間が来たのでアッラーに祈りを捧げている。

櫓の高さが尋常ではない石油井戸掘削のRig。こんな大規模なRigを用いて井戸掘削をしたのは、シナイ半島のプロジェクトだけだ。

Rigを操作するエジプト人ドリラー(井戸掘削技術者)。真ん中で、ターンテーブルがグルグル回っている。この先にBitが付いており、地下深くまで掘削する。地球の裏側まで掘ってくれ。僕は契約書には書いていないことを、ドリラーに心でお願いしていた。

掘削した地層(あるいは岩石)の標本を見て、僕たちは今どの年代の地層に辿り着いたのか見極める。本当は理工系ではない僕が、この仕事を続けてこれた面白さの所以の一つ。