僕はこのブログでアフリカについて沢山のことを書いてきたが、アフリカを考える上で、いやアフリカだけではない、この地球上の全世界(社会)を考える上で避けては通れない1つのことをまだ書いていない。それはまさに今、僕が仕事をしているザンジバルで起こっていた事なのに。さらにそれは、これまでの僕のブログ「まっすぐな国境線」や「国に名前をつけるということ」で書いてきた、かつてのヨーロッパの列強国が、自分達の都合で勝手に国境線を引いたり国の名前を変えたりしていたことよりも遙かに恐ろしいことなのに。
そう、それは「奴隷」のことである。
こういうことを書くことに僕は非常に躊躇を感じるが、あえて書こう。
2019年公開のイギリス映画『イエスタデイ』は、交通事故による昏睡状態から奇跡的に回復した売れないシンガーソングライターの青年が、目覚めた世界は史上最も有名なはずのバンド「ザ・ビートルズ」が存在しないパラレルワールド(僕たちが生きる世界と同一の次元を持ちながら、並行して存在するもう一つの別の世界)であったという設定で始まる。すなわちその青年は、ある日突然に全世界でビートルズの名曲を覚えている唯一の人間となり、自らの作品としてビートルズを歌い大スターになるというコメディ映画だ。この映画を見たとき、僕はとっさに、もしアフリカで捕られ、アメリカで無償の労働と非人道的な差別に苦しみ続けたアフリカの人たちがいなかったら(すなわち奴隷という悲劇がなかったら)、音楽の世界でブルースやジャズは生まれなかったのではと思った。すなわち、僕にとっては神のような存在であるスティービー・ワンダーもジミ・ヘンドリックスも存在しなかったことになる。1970年代にまったく新しい音楽の楽しさを開拓し全世界で愛された、アース・ウインド&ファイアーも存在しない。いや、それどころではない。奴隷を使っていた側の人種、すなわちビートルズやローリングストーンズも存在しなかったであろう。なぜなら彼らもチャック・ベリーやロバート・ジョンソンのような、アフリカ系のアーティストのブルースやロックンロールの影響で発生した音楽だから。
だからと言って僕は、決して「奴隷という悲劇」を肯定している訳ではない。先ほど“非常に躊躇を感じる”と言った意味はここにある。奴隷という悲劇は、このような側面(音楽)から見ても世界的に非常に大きな影響を与えているということを言いたかったわけである。そんなことを考えながら僕は、東アフリカの奴隷貿易の拠点であったここザンジバルで、もう一度奴隷について考えようと、この日曜日に僕のホテルの直ぐ近くにある「東アフリカ奴隷展示館」の見学に行った。

1800年~1909年の100年以上にわたり、スルタン(今の国名ではオマーン)はザンジバルを統治し奴隷貿易で大いに繁栄した。ケニア、タンザニア、ウガンダ、コンゴ、モザンビークから奴隷として捉えられた人々はここで世界中に売りさばかれた。西アフリカでの奴隷貿易の拠点はセネガルやガーナにあった。

アメリカの大ヒットテレビ番組「ソウル・トレイン」は1971年から放映された。ジェームス・ブラウン、スリー・ディグリーズ、今その名前を聞いただけでもワクワクするアフリカ系アメリカ人の偉大なアーティストのライブ演奏に合わせてダンサーが踊りまくる。この映像に少年時代の僕は夢中なった。なんてかっこいいんだろう、僕も黒人に生まれてくればよかったのにとさえ思った。
1977年、アメリカではテレビドラマ「ルーツ」が大ヒットし、日本でも非常に高い視聴率を記録した。アフリカ系アメリカ人の作家、アレックス・ヘイリーが実際に自分の家族のルーツをアフリカ(今のガンビア)まで取材して書いた小説が原作であった。このドラマはアメリカ国家史上最も暗い側面のひとつである黒人奴隷の問題を正面から描き、社会現象と言えるような大反響を世界的に巻き起こした。当時僕は高校生であったが、ソウル・トレインと同様テレビにかじりつくように夢中になって毎日視聴していた。恥ずかしながら世間知らずな僕は、高校生になって、このアメリカのテレビドラマを見て、初めて奴隷問題の背景とアフリカ系アメリカ人が現代でも抱える苦悩について知るのである。


高さは僕が座っても頭をかがめないと天井に頭がつく。小さな窓から昼間だけ光がさす。真ん中で黒い影を作っている四角い溝は排泄をするところ。地形が低いので、満潮になるとこの溝に海水が入り、干潮時に排泄物が流される。食事もここでしていたとのこと。いったいどんな食事が与えられていたのだろうか。この極度に狭く劣悪な衛生環境で、どうやって食べていたのだろうか。

この狭さで(男性用も)常時70~80名のアフリカ人が詰め込まれていた。


朝になると首輪と鎖で繋がれたアフリカの人々は、市場に立たされ競りにかけられる。どんな気持ちで立っていたのだろうか。現代の日本では北朝鮮による日本人拉致問題がある。ある日突然、家族や友達とも切り離されて知らない世界に連れて行かれる恐怖と悲しみを想像できるであろうか。鎖に繋がれて一日中立たされても売れなかったら、またあの劣悪な衛生環境の地下牢獄に押し込まれる。売れなかったことを悲しむのだろうか。それとも売れずに狭い地下牢獄にまた押し込められることに失望するのであろうか。しかし、売れたらどんな世界に連れて行かれどれほど惨い目に遭うのだろうか。家族や友達と突然切り離された悲しみに加え、この途方もない絶望と恐怖。そしてアフリカに残された家族と友達の底なしの悲しみ。これ以上の悲劇がこの世界に存在するだろうか。

イギリス人の医師・宣教師・探検家のデイヴィッド・リヴィングストン(1813~1873)は、ナイル川の源流を調査するためにヨーロッパ人で初めて当時は暗黒大陸と呼ばれていたアフリカ大陸を10年かけて横断した。調査中にいろんな国で何度も見た首輪と鎖で繋がれたアフリカの人々を不審に思い、調査を終えたリヴィングストンはその後をつけてザンジバルにたどり着いた。そしてスルタン人が奴隷貿易を続けていることを発見し、その後の人生を奴隷制度を撲滅する活動に貢献した。マラリアに罹患しタンザニアで死亡したリヴィングストンの亡骸は、彼の遺言通りアフリカの人々により開胸され、取り出された心臓をアフリカの大地に埋葬し、遺体は防腐処置を施しイギリスに返された。


写真中央の白い柱に取り付けられた小さな十字架は、リヴィングストンの心臓が眠る大地に育てられた木から作られた。小さいけれど、ザンジバル、タンザニアの人々のリヴィングストンへの敬意が込められた十字架である。
全ての国で奴隷制度が撲滅してから生まれた僕は、その子孫達がアメリカで創造した素晴らしい音楽を聞きながら育った。しかし、「ソウル・トレイン」や「ルーツ」に夢中になっていた少年時代、まさか僕が40年以上も沢山のアフリカの国々で仕事をするなんて想像もしなかった。そしてその結果、アフリカを通して世界を見ることが出来た。これは貴重な体験だったと思う。そんなアフリカに対して、僕はとてもリヴィングストンように偉大な貢献は出来ないけれど、せめてこのブログでアフリカをお伝えし続けていきたいと思う。





















































