日産サファリは、アフリカではパトロールという。「サファリ」はスワヒリ語で「旅行」という意味だ。日本人にとってはちょっと冒険みのあるエキゾチックな名前なので日産が戦略的につけた名前なのであろう。アフリカでは「パトロール」と呼ばせた。この日は首都アジスアベバから北部のアファール州まで、パトロール君と一緒に走った。途中でカフェがあったのでランチ休憩だ。パトロール君も休ませないと、エンジンの温度はかなり上がっている。エチオピアは、54カ国のアフリカ諸国のなかで唯一独自の文字を持つ国、右側の白い看板がエチオピアの文字だ。外人が通りかかるようなところではないのに、真ん中の看板には” WEL COME TO FRUITE CAFÉ“と書いてある。” WEL COME”はワン・ワードなのにスペースが空いている。そしてFRUITEは、Eが多い。FRUIT(フルーツ)と言いたかったのだと思う。カフェには果物なんて無かったけど。アフリカのこういういい加減なところがかわいい。
一気に今の僕のプロジェクト、ザンジバルまで飛んで来た。車は日産ラバナ、日産の輸出向けのダブルキャビン・ピックアップトラックだ。プロジェクトの車両には(車だけで無く調査の機材等にも)”From the People of Japan”(日本の人々から(の支援です))というステッカーが貼られている。” From the Government of Japan” (日本の政府から(の支援です))と書いていないところがちょっと嬉しい。僕も納税者だから。
テロの特性として、かつては弱者の側に置かれた人々の対抗手段という側面があった。「ある者にとってのテロリストは他の者にとっては自由の戦士である」(one man’s terrorist is another man’s freedom fighter)というテロについての有名な格言もある。古くは、初代内閣総理大臣の伊藤博文を暗殺した安重根は、もちろん日本ではテロリストと見なされているものの、韓国では独立の英雄と位置づけられている記念館が開設され、切手にもなった。しかしこれは、テロ事件に多く存在する二面性を意識することが、暴力性にのみ目が行きがちになる国際テロの解決を進める上で不可欠であるという意味であり、もちろん弱者と言えども、暴力で対抗することに対する正当性は何らない。ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件、911アメリカ同時多発テロに、一体何の正義があったのか。ダッカ事件の犯人のうち数名は、バングラデシュでは富裕層の子息で、有名大学の学生だった。それがアルカイダの流れをくむイスラム原理主義者に洗脳されて起こした事件だった。正義でもなく、弱者でもない。繰り返すが、正義があれば、弱者であれば、暴力で主張をして良いという大義はあり得ない。
1971年の僕は小学校の5年生であった。年の離れた姉や従兄弟の影響で僕はロック少年になっており、1970年にジョージ・ハリスンがリリースした“All Things Must Pass”か、1971年に、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ジョージ・ハリスン、レオン・ラッセル等の豪華メンバーが出演したチャリティー・コンサートのライブ盤「バングラデシュ・コンサート」のレコードの、どっちを買うかで非常に悩んでいた。どちらも3枚組のLPで、小学生の僕がそれを買うには、清水の舞台から3回転ひねりで飛び降りる覚悟が必要だった。