奇妙な形の野菜たち

Literature, photograph, music, guitar, and alcohol (sake, whiskey). What I love and never stop

コダクロームな、あるいは2Bの鉛筆な国。それはバングラデシュ

こういうことを言うと、きっとバングラデシュの人に怒られると思うので小さな声で囁こう。バングラデシュは・・・、決して美しくはない。もう少し具体的にいうと、一般的な美意識からすると、美しさの基準から外れている、と思われる。あまり具体的ではなかったかもしれないので、1つ例を挙げてみよう。

むかし、アフリカのどっかの国からの帰路でロンドンに到着すると、次の乗り換え便のJALがストで欠航になっていた。UAEエミレーツが日本に就航していなかった時代だ。当時アフリカに行くには、全てヨーロッパ経由だった。日航は、代償として僕に以下の3つオプションをオファーした。

① ロンドンでストが終わるまで待つ(ホテル代も食事代もJAL持ち)

② その日の夜のBA(英国航空)で成田に飛ぶ

③ このまま(そのときは朝だった)コペンハーゲンに飛び、翌日の夜便のSASで日本に帰る(コペンハーゲンでのホテル代も食事代もJAL持ち)

僕は迷わず③を選んだ。あのアンデルセンが愛したコペンハーゲンの街、あの絵本のような街に行けるのだ。僕はストを起こした日航パイロット達に感謝しながらコペンハーゲンへ飛んだ。運河に沿って伝統的なパステルカラーの建物が並ぶ町並みは、まるでおとぎの国のよう。コペンハーゲンはどこに行っても、何を見ても美しい。コペンハーゲンを、一般的な美意識からすると“美しい”という基準内にきっちりと入っているとしよう。バングラデシュはその基準から外れている、と僕は個人的に思うのである。しかしその基準に入っていないことは何ら悪いわけではなく、基準外にも“美”と同等の価値は沢山ある。今日はバングラデシュにおけるその価値について考察したい。

ヒマラヤを源流として、インドを流れ、ベンガル湾に巨大な三角州を形成したガンジス、メグナ、ブラマプトラの3大河川。それらはヒマラヤから、インドから、ミャンマーから、あらゆる汚染物質を運び込み、低地で堆積させ三角州を形成し続ける。その三角州に世界一の人口密度を誇る1億6,468万人の人口。アフリカにちょっと分けてあげたいほど水は溢れるほどあって、どこに行ってもジャブジャブの水浸し。不衛生な表流水の飲料による水因性疾患の蔓延による高い乳幼児死亡率。20世紀最大の環境汚染問題とされた地下水のヒ素汚染。

バングラデシュは混沌の国である。と以前のブログで僕は書いた。その混沌はこの地形、水、人、が成したものである。もっと言えば、バングラデシュは社会、国際関係、自然、それら地球上の全ての環境の終末地点であり、その万物から排出される灰汁の沈殿物でできた地ではないだろうか。インドからの独立(1947)、東パキスタンとしてパキスタンからの分離(1955)、そしてバングラデシュとしての独立(1971)。その道のりは、宗教間の対立、列強国の都合の良い思惑と数々の嘘、そして極度の貧困で攪乱されながら人々の血と汗をいくら沈殿しても、いつまでたってもアジアの最貧国から抜け出せない。

すなわち、その堆積と沈殿は恐ろしいほどに濃度が高いのである。僕は映画が大好きであるが、濃度の濃い映画が大好きである。いわゆるハリウッド映画は、時間がもったいないので僕は見ない。濃い映画といえば、古くは巨匠フェデリコ・フェリーニ監督、現代ではミヒャエル・ハネケ監督、ラース・フォン・トリアー監督あたりだろうか、僕が好んで鑑賞する作品は。バングラデシュにはその濃さがあるのだ。

皆さんはコダクローム64というフィルムをご存じだろうか。コダクロームは米国イーストマン・コダック社が1935年に発売したスチール写真用カラー・リバーサル・フィルムである。コダック社の最も象徴的なフィルムで有ったが、2009年にその製造が終わった。僕の最も好きなフィルムであり、2009年までの僕のカラー写真はほぼ全てコダクロームであった。

発色を押さえた、渋みと濃厚感のある色調を好んで使った写真家も数多い。実に深みのある色彩再現は、コダクロームしか撮れない世界だった。実際にコダクロームで撮影した写真を2枚ほど、紹介しよう。

瓦礫の街で水を汲むカブールの少女達

これは2001年の9.11の同時多発テロに対する、米軍の報復が終わった直後のアフガニスタンのカブール。実に渋みのある発色であり、空気の冷たさまで映し出されている。

スリランカ、井戸に集まる女達

これはスリランカ南部の県、ハンバントータの農村部の大きな素掘りの井戸。毎日沢山の女性が集まり、水汲みだけで無く選択も食器洗いも(実はこれは衛生上、ホントはよろしくない)おしゃべりも、日中の半分はここで過ごす。実にコダクロームらしい、どんよりとした濃厚感のある絵だ。

さて、次はいよいよバングラデシュにおける”美“の基準外にある“美”と同等の価値を見ていこう。これらは全て富士フィルムのカラー・リバーサル・フィルム、プロビアで撮影した写真である。コダクロームの製造が終わってからの僕のカラー写真は、全てプロビアになった。プロビアはコダクロームと違い、すっきり、クッキリと、目映いばかりの色の鮮やかさと立体感ある絵が特徴である。コダクロームとは対極的なフィルムと言えよう。しかし、どうだろうか、バングラデシュをプロビアで撮影すると、不思議なことにその絵はコダクロームが蘇るのだ。

バングラデシュ・ジョソール県、ヒ素で汚染された井戸と村人達

濃厚な色合い、地面と家の土壁に広がる水染みのヌメリ感。誰が見たってこれはコダクロームの絵だ。

モノクローム?湖畔の午後

これは白黒フィルムで撮影したのではない。逆光で撮影すると、鮮やかな色調が自慢のプロビアも、どんよりとしたバングラデシュの空気感を映し出す。

リキシャ(人力車)の脇から僕を覗くおじさん

リキシャの背面からリキシャの運転手を撮影していたら、通りがかりのおじさんに覗かれた。1つ前の白黒フィルムのような絵と同様、色調が単調になるのもコダクロームの1つの傾向であるが、プロビアでそれが出た。

あるいは、2Bの鉛筆のような国だと思う。バングラデシュは。白黒フィルムで撮影すると、2Bの濃い鉛筆でザラッとスケッチしたような絵が撮れる。

バングラデシュ農村部の子供達、屈託の無い笑顔に救われる

どうだろうか、この空気感。濃厚、かつ低い彩度。堅い暗部の諧調。それらは、澄み渡る空気ではなく、物憂げな雰囲気となって映し出される。これがバングラデシュの堆積であり、混沌の中での人々の懸命な生活の蓄積であり、バングラデシュだけがもつ“一般的な美の基準”の外にしかない芸術的な価値なのである。