奇妙な形の野菜たち

Literature, photograph, music, guitar, and alcohol (sake, whiskey). What I love and never stop

混沌(カオス)の国、バングラデシュ

僕のかつての会社は、世界中のエンジニアリング会社ランキングでも常にベスト10に入る大きな開発コンサルタント会社であった。したがって、あらゆるセクター、それは水資源、農業、都市開発、建築、道路、橋梁、鉄道、電力etc. 多様なエンジニア(コンサルタント)がいて、常に世界中を飛び回っていた。大きなハブ空港(例えばバンコク、ドバイ等)のラウンジで同僚とばったり出会うなんてことも珍しくない。あるいは、到着して手荷物カルーセル(手荷物がグルグル回るベルトコンベアみたいなやつ)で会社のロゴが入ったジェラルミンのトランクを受け取ろうとすると、隣から日本人のおじさんが「それ私のです」といって横取りされたこともある。そのおじさんも、本社では見たことなかったけど同じ会社のエンジニアで、僕のトランクは後から回ってきた、なんてこともあった。

本社には大きな本棚があって、そこには海外旅行ガイドブックの「地球の歩き方」が沢山置かれていた。東京のどんなに大きな書店でもあり得ないぐらい、ありとあらゆる国の「地球の歩き方」が置いてあり、初めての国に行くときはよくそこから借りた。「地球の歩き方」は、若いバックパッカー向けの旅行ガイドと思われがちだが、実は海外旅行(出張)といっても観光地には用がない我々開発コンサルタントにとっては、他の一般的な旅行ガイドより得られる情報が多いのだ。

すこし前振りが長くなった。あらゆる国の「地球の歩き方」が並ぶ会社の書棚の中で、ひときわ薄いのは、バングラデシュである。それは測定するまでもない。一目見て一番薄いのがわかる。でも、値段は同じなのかな?他の国と。バングラデシュに行く前、なぜこんなに薄いのか考えたことがある。おそらく、情報が少ない。あるいは、観光地や見所が少ない。2008年に初めてバングラデシュに着いた僕は、直ぐに僕のその予想は当たっていたことに気づいた。この地でたとえ長期の休暇を与えてもらったとしても、行くところは無い。まあ、ゴルフに行くぐらいか・・・、要は旅行してみたいと思うところが無いのである。

バングラデシュで唯一有るのは、混沌(カオス)である。僕は多くの国を訪問したが、バングラデシュの混沌さは間違いなく1番だ。混沌とは、広辞苑によると以下の説明がある

  • 天地開闢(かいびゃく)の初め、天地のまだ分かれなかった状態。
  • 物事の区別・なりゆきのはっきりしないさま。

[出典:広辞苑 第七版]

天地開闢なんて科学的な根拠は全くないが、なるほど、バングラデシュを見ていると然もありなんという気がしてくる。「物事の区別・なりゆきのはっきりしないさま」というのも、視覚的には感じにくいが、バングラデシュの社会の中に入ると、なるほどと思えるところが沢山ある。バングラデシュは混沌の国であり、この混沌こそが魅力の国であるが、それは一般的には旅行の目的にはならないのである。

混沌の所以の1つは、バングラデシュの人口だと思う。バングラデシュの人口は1億6,468万人で、世界で最も人口密度が高い国である。どこに行っても人が多い。また、地形はインドとミャンマーに国境を接し、ガンジス、メグナ、ブラマプトラの3大河川の氾濫原に位置するため、国全体が巨大な三角州だ。これらの大河川は世界でも最も汚れている川とされている。ヒマラヤから、インドから、ミャンマーから、あらゆる汚染物質が流れ込み、それらが堆積して形成した国土も混沌だ。しかしこの混沌さ、ここまで混沌としていると、ある種の美しさを感じる。隠し立ての無い群像、沼のような人間社会、底なしの貧困、21世紀の今、そんなものが見えてくるのはもはやバングラデシュだけかもしれない。

首都ダッカにある旧市街オールド・ダッカには、インド人も尻尾を巻いて逃げ出すカオスが広がっている。そこは日我々の社会では見られない”非日常”の世界であるが、混沌の象徴のような美しさがある。

自転車による人力車は、混沌のバングラデシュの庶民の足である。
これはインドでも、インドネシアでもスリランカでも「リキシャ」と呼ばれている。おそらく第二次世界大戦時の日本の短い占領期間に普及したのであろう。リキシャには元締めがいて、運転手は元締めからこのリキシャを借り営業する。一日走っても手元に残るのは非常に少ない金額で、リキシャの運転手は皆ガリガリに痩せ、いつも険しい顔つきをしている。混沌の中の底辺層なのである。

おそらくイギリス統治時代のイギリス人が住んでいたのであろう家の廃墟。
ここまで来るともはや僕には芸術性を感じてしまう。