奇妙な形の野菜たち

Literature, photograph, music, guitar, and alcohol (sake, whiskey). What I love and never stop

曖昧であるということ

今回のザンジバルの出張には、仕事用のデジタルカメラに加えてフィルムのカメラも一台もっていった。実は僕がプライベートで本格的にデジラルカメラを使うようになったのは、2018年からであり、それまではフィルムカメラがメインだった。もちろん仕事ではデジタルカメラを使っている。現像しなくても、画像データとして報告書に簡単に貼り付けることが出来る。1980年代から90年代の半ばぐらいまでは、僕たちの報告書には現像してプリントしたフィルム写真を糊で貼っていた。話はそれたが、プライベートとはいえ、2018年までフィルムがメインだったという人は、極めて希有であることは自分でも認識している。

ザンジバルフィルムカメラをもっていくので、僕は、おそらく4年ぶりにフィルムを買った。フジフィルムのポジフィルム、プロビア100Fを。ヨドバシカメラのフィルム館でその値札を見て僕は絶句した。1本が3,960円だった。帰国して現像に出したら、3,840円だった。つまり、36枚の写真を撮るのに7,800円かかることになる。

これは高い。高すぎる。

しかし出来上がった写真を見ると、ああ、フィルムを使わなかったこの4年間が実に悔やまれる。フィルムって、こんなにも曖昧で、僕たちの想像出来る余白がこんなにも広がることにあらためて気づいた。デジタルカメラでとった写真は、僕にとっては情報である。フィルムは化学的な作用が織りなす芸術であり、解像度など数字で表すことのできない世界だ。

僕はなんて長い間、曖昧なことは許されない世界にいたことだろう。仕事の成果、調査結果の精度、そして時間。そして自分の頭で想像出来る余白はどんどん狭まってきたことに、今回7,800円払って気づくことができた。ありがとう、7,800円のフィルム君。僕はもうこれから、曖昧でいようと思う。

ストーンタウンに今でも残るアラブ(オマーン)様式のドア(ザンジバルドアと呼ばれる)から僕を覗く子供達、週末のランチとワインで必ず僕を癒やしてくれるザンジバルの古いガーデンを利用したカフェの僕の特等席、そしてこの先は何処に連れていってくれるのだろうかといつもわくわくさせてくれる迷路のような道。これらがみんな、僕に曖昧であることの素晴らしさを教えてくれた。

ザンジバルドアと子供達

僕の特等席

僕を曖昧な世界に導いてくれる迷路