奇妙な形の野菜たち

Literature, photograph, music, guitar, and alcohol (sake, whiskey). What I love and never stop

歴史は繰り返されている

「聖なる光り輝く島」スリランカはしかし、紛争の絶えない国でもあった。スリランカの主な民族は、シンハラ人(74%、仏教)とタミル人(18%、ヒンドゥー教)である。シンハラ人は、紀元前に北インドから上陸したアーリア系民族であり、タミル人は、英国植民地時代に紅茶プランテーション労働者として南インドから強制移住させられた。シンハラ人とタミル人の対立の発端も、例外なく列強国の植民地支配に因るものであり、英国は"少数派"のタミル人を行政府官吏に重用して、"多数派"のシンハラ人を統治させる「分割統治」を行った。その結果、シンハラ人は貧しい農家になる一方、タミル人のみが優れた教育を受け、官吏以外にも商人や資本家など高い地位を占めた。これが民族間の確執へと発展する火種となった。

しかし、1956年の選挙で圧勝したスリランカ自由党(SLFP)は、分割統治によって虐げられてきたシンハラ人の利益を尊重する政治姿勢を打ち出し、シンハラ語を唯一の公用語とするシンハラ・オンリー政策を展開した。タミル人はこれに猛反発し、武装組織「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE:Liberation Tigers of Tamil Eelam)を結成し、過激なテロ活動に発展した。

僕がスリランカ南部の半乾燥地帯における水資源開発のプロジェクトに就いたのが、2000年だった。ちょうどそのプロジェクトが終了した年の2003年、ノルウェーの仲介により政府軍(シンハラ)とLTTEの停戦合意が成立し、20数年続いた内戦が一旦終了した。日本はその機会をみて、北部の激戦地区に「水」と「医療」の支援をスタートさせた。当然のように僕はそのミッションの一員として派遣されることになった。

今回の記事の写真は全て“普通の”デジタルカメラでの撮影である。なんのカメラだったか忘れたが、たいしたカメラではない。このミッションは非常に危険だった。僕たちは政府軍の軍用機で飛んだ。だから、僕は大切なフィルムカメラを連れていくのに躊躇したのだ。今から思えば、そういう躊躇は良くなかったと思う。本当に写真を愛するならば、どんなときも本気で望まないといけないと、今は思う。

地雷原を示すドクロマークの赤い看板に、まるで漫画みたいだと僕は思った。本当にこんな看板があることに驚いた。北部、キリノッチ、ジャフナのエリアは至る所に地雷と不発弾が散らばっている。

地雷原の看板

つい先週、パレスチナガザ地区北部で病院が爆破され500名近くが亡くなった。イスラエルの攻撃だ、いやハマス誤爆だと取り沙汰されているが、こういう悲惨な過ちは何十年も、百年も前から繰り返されている。ジャフナの病院も完全に破壊されていた。

砲弾を受け破壊されたチャワカチュリ病院

軍用機を降り、町に着いた僕は、手足の無い人が多いことに直ぐに気づいた。大人だけで無く、子供も、女性も。小学校(中学校かもしれない)の壁に子供達で描かれていた、地雷や不発弾への注意喚起の絵が痛々しい。

子供達が描いた不発弾への注意喚起の絵

こちらは地雷の注意喚起。子供が描いたと思うと、凄く痛々しく感じる。

1994年のルワンダツチ族の大虐殺を始め、世界中で繰り返される民族紛争、そして今まさに起こっているパレスチナハマスイスラエル間の戦争、他にも数え切れないぐらい挙げられるが、これらは全て同様に列強国の植民地支配が発端である。

歴史はまったく学ばれていないのだ。