奇妙な形の野菜たち

Literature, photograph, music, guitar, and alcohol (sake, whiskey). What I love and never stop

並列、あるいは同時進行

昨夜、東京に約2ヶ月ぶりに帰ってきた。ネットのニュースで今年の日本の夏の暑さが報道されていたので想像はしていたが、暑い。ドバイから帰ってきた人に言わさせないでほしい。僕は水資源のコンサルタントなので、アフリカ、アジア、中南米、すなわち開発途上国、特に水に困窮している国々が僕の大切なクライアントさんだ。よく、「空博さんはいつも暑い国に行って大変ですね」と言われるが、「東京の夏に比べたら全然快適ですよ」と答えるようにしている。今年の夏は、僕にそう答えられた人も身をもって理解できたのではないだろうか。

子供達(息子(兄)、娘(妹))が幼い頃は、いつもいつも海外出張で父親がいない家庭だった。たまに僕が日本にいた時期の幼稚園の運動会で、園庭にシートを引き、妻の美味しい手料理の品々が入ったお重を並べ、家族4人で楽しくランチを食べる。子供達は、口いっぱいにお握りをほおばりながらコロコロと笑う。今思えば、僕の人生で最も美しく幸せな時間だったかもしない。

その日は成田から夜のフライトだった。僕は家族との束の間の園庭ランチを終えると、「それじゃあ、行ってくるから」と靴を履きシートから腰を上げると、子供達は「いってらっしゃ~い」と声を揃えて大きく手を振る。隣のシートの家族、僕達と同じマンションに住む娘の同級生の女の子の母親が、「あら、ご主人どちらにいかれるの?」と聞くと妻は、

「アフリカのどっか」と答えたものだった。

その返事に、娘の同級生の女の子の母親は仰け反って驚く。夫が海外出張に行く、その行き先の国の名前も知らない妻に対して。ちょいとそこらのコンビニに買い物に行くようにアフリカに行く夫に対して。あるいはその両方に対して驚く、娘の同級生子の母親。

今考えても、妻のその返答は素晴らしいと僕は思っている。まさに僕たち家族の歴史を描いている表現だったと思う。

僕は写真が大好きで、未だにメインはフィルムのカメラを使っている。僕の父親も写真が大好きで、変なカメラを沢山もっていた。僕はカメラで、家族を、アフリカを、アジアを、撮りつづけている。それらの写真は、装飾性のないシンプルなアルバムに収めてある。撮影したカメラとレンズのメモだけを残して、淡々と、時系列にアルバムに貼り付けている。

娘はこのアルバムを非常に気に入っている。確か彼女が大学3年生になって、家から通えるのに大学の近くにアパートを借りて一人暮らしを始めたとき、僕の写真関係のキャビネットからごっそりとアルバムを持ち出していた。娘は、僕のアルバム、すなわち淡々と時系列的に、家族、アフリカ、家族、アジア、と並んでいるのことに興味を覚えた。東京での日常、楽しい家族の時間、それらとともに、水に困窮するアフリカ、アジアの村落、戦争で破壊された瓦礫の街、紛争から逃れた難民キャンプが淡々と時系列的に並んでいる写真を見て、娘は僕を「あらゆる風景を並列に捉えている」と評した。

そうなんだ。それは並列であり、同時進行している事柄であるんだ。写真は 「アフリカのどっか」の少年達。日本の援助で出来た村で唯一の井戸に集まる少年達。幸せいっぱいの園庭でお腹いっぱい美味しいランチを食べてから東京を出発する僕を、生まれてから一度もお腹いっぱい食べたことも、靴なんて履いたことのないこの「アフリカのどっか」の国の少年達は、待っているのだ。

並列で、同時進行しているのは世界だけではない。僕の中にも少年がいて、夫がいて、父親がいて、水資源のエンジニアもいる。それらの複数の「僕」は全て並列であり、そしていつも同時に進行しているのだ。

タンザニア、ムトワラ州の少年達。日本の援助で安全な水源が確保された村。